文芸スペース

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局所化

数学の自主ゼミをしたので、復習する。

局所化は、代数的な意味においては、分数を付け加える、という操作である。

局所化、という言葉と、分数、という言葉が結びつけば、もはや、局所化についての理解は終わったも同然である(というのは言い過ぎだろうか?)

局所化には、2つの種類があると、自分では勝手に思っている。

イデアルを使う方法と、べき乗を使う方法である。

今回は主に素イデアルを使う方法の方を学んだ。

局所化で大切なことは、局所化する前とした後の素イデアルの対応関係であると思う。

今回証明した主張の各々に、その対応関係に関する事実が使われている。

今回証明した事実は以下である

局所化する前の環の、積閉集合と交わりを持たない素イデアルが、局所化した後の環の素イデアル全単射で、包含関係を維持して、対応する。

この、包含関係を維持する、ということが極大性を示すときに、有効である。

次に、デデキント環の局所化は、再び、デデキント環になる。

分母を付け加えても、ネーター性は壊れないし、整閉性も壊れないし、上の素イデアルの対応の話から、素イデアルは極大イデアルで有り続ける。

そして、デデキント環の素イデアルによる局所化は離散付値環になるし、そうなるのはデデキント環のときに限る、というデデキント環の特徴づけを与えた。

いろんな素イデアルによる、局所化全てのインターセクション(共通部分)は、元のデデキント環である、つまり、

「どの素イデアルでも割れない数は、まぁ、1でしょ」という主張が効いた。

最後に、代数幾何学との関連として、ザリスキ位相の開集合上での切断、の話をした、あくまで数論的に。

ザリスキ位相というのは、古典的には、多項式の零点集合を閉集合と定める。

多項式の零点集合の補集合が開集合だ。

これをイデアル論的観点から見れば、あるイデアルを含むような、つまりは、割るような、素イデアル全体が閉集合である。

あるイデアルを割るような素イデアルは、有限個である。いや、まあ、無限個かもしれないけど、まぁ、有限と思ってもよい。まあ、今はとりあえず、有限個と思おう。

そうしたとき、その有限個の素イデアルを除く全ての素イデアルが形作る集合は、ザリスキ位相の意味合いにおいて、開集合である。

つまり、有限個の素イデアルを除いた全ての素イデアルで、ぶわっと局所化した環は、開集合上の切断になっている、ということを意味する、と言って差し支えない。

部分的な切断である。

局所というには広めな局所、的な切断でたる。

大域切断と局所切断を比較する、というのが、最大のトピックであった。

大域切断→局所切断→離散付値環の有限直和→大域イデアル類群→局所イデアル類群

という完全系列が現れたのは、すごいことだと思う。

うーん、うーん、うーん。

代数幾何をきちんと学んで行きたいと思う。

だいたいこんなことをした。

おわり。